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「ことば」と「文化」の密接な関係
更新日:2022年12月14日
<プロフィール>
伊藤 綾香
外国語学部 外国語学科
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 後期博士課程 修了
博士(政策・メディア)、MA(Cross-Cultural Communication and Media Studies)(Newcastle University)
留学をきっかけに、異文化コミュニケーションに興味を持つ。「何でもやってみる、どんなことも糧になる」そう思って日々奮闘中。趣味はドライブと恐竜図鑑を読むこと。
<目次>
文化は私たちが使うことばでつくられる
シニフィアンとシニフィエ。言葉が世界を認識する鍵?
差異があるから認識できる
ことばと文化の関係を見つめ直す

私たちのことばが文化をつくる
みなさんは普段、「ことば」を無意識に使い、「文化」というものも意識することなく過ごすことが多いのではないでしょうか。外国語学部の伊藤綾香先生は次のように言います。
「文化はみなさんのまわりに常に存在しています。そして実は、みなさんがつくっているものです。みなさんが日々、使っていることばや行動によってつくられるもの、それが文化なのです」(伊藤先生)
ことばと文化の関係とは?千葉敬愛高等学校の生徒が伊藤先生と一緒に考えてみました。
最初に伊藤先生が紹介したのは、東京にある「シニフィアン シニフィエ」という、不思議な名前のパン屋さん。お店のホームページを見てみると「店名はフランス語の言語学用語に由来している」「シニフィアン(意味作用)とは“そのもの自体”のこと、シニフィエ(意味内容)は“そのもののイメージ”」とあります。どういうことでしょうか?
シニフィアンとシニフィエということばの概念を生んだのは、スイスの言語学者、ソシュールです。「近代言語学の父」といわれ、のちの人文科学に多大な影響を与えたとされています。
「ソシュールは、人間はことばによって世界を認識していると唱えました。これは言語学において革命的ともいえる考え方でした」(伊藤先生)
何が革命的だったのでしょうか?それを知るには、ソシュール以前の世界認識モデル「言語名称目録観」について理解する必要があります。先生は教壇の机をさして言います。「これは何でしょう?木でできた、物をのせられるものですね。これを“机”とよぶことにしましょうと、机というラベルをつける。それによって、私たちは机というものを認識する。このように、最初に存在があって、人間がそれに、ことばをラベルのように貼りつける。そうすることによって世界を認識する。これが、ソシュール以前の考え方です」(伊藤先生)
これに対しソシュールは、世界にもともと区分はなく、人間がことばによって区分している。そうすることで人間は世界を認識していると唱えました。
「世界の認識をつくるのはことばである、彼はそう考えた。その考え方こそが新しかったのです」(伊藤先生)

シニフィアンとシニフィエ。ことばが世界を認識する鍵?
さらに詳しく、伊藤先生はソシュールの考えを説明します。たとえば、私たちは同じ毛むくじゃらの4つ足動物でも、犬や狼、山犬などと区別していますが、本来、そのような区分はないのだとソシュールは主張します。人間の価値観によって「かわいいのは犬」「危険なのは狼」「野生的なのは山犬」と命名することによって、動物の「差異」を認識できるようになったのだというのです。これが「人間はことばによって世界を認識している」というソシュールの考え方です。
ソシュールは、ことばは「記号」にすぎないと考えました。たとえば「いぬ」ということばは表現記号です。これが「シニフィアン」です。その表現内容が「シニフィエ」です。ソシュールは、言語はシニフィアンとシニフィエが結びついて成立するとし、さらに「表現記号シニフィアンと、表現内容シニフィエのつながりは、まったくもって恣意的である」と指摘しました。どういうことでしょうか?
「(スクリーンの犬のイラストを指さして)これと“犬”ということばとのつながりは何か?必然的なつながりはまったくない、人間がそう決めただけのことだ、とソシュールは言っているんですね」(伊藤先生)
たとえば同じ動物でも、日本語では「いぬ」、英語は「ドッグ」、フランス語は「シアン」、イタリア語は「カーネ」、中国語は「チン」というように、国によって記号が異なるのも、シニフィエとシニフィアンのつながりが恣意的である理由となります。

差異があるから世界を認識できる
「ソシュールは『言語とは差異の体系である』と考えました。どういうことでしょうか。まず、音の差異があります。(犬のイラストをさして)これは“いぬ”であり、“いす”でも“いと”でも“きぬ”でもありません。それから、概念の差異もあります。概念というのはシニフィエ、表現内容です。私たちは(犬のイラストをさして)これを“狼”でもなく“山犬”でもなく“犬”と認識しています。つまりソシュールは、ことばにおいては、音も概念も、他との差異によってしか示すことができない、言語とは瑣末な差異を集めた集合体である、と捉えたのです」(伊藤先生)
ここでスクリーンに映し出されたのは、有名な「ルビンの壺」の絵。
「黒地の背景に白地の図形を描くことによって、向き合った人の横顔にも、白い壺にも見えますね。では、こうするとどうでしょう?」(伊藤先生)
映し出されたのは、黒地の部分を白くした「ルビンの壺」。ですが、壺も横顔も区別がつきにくくなってしまいました。
「図と地に差異がなければ、図を図として認識することはできません。世界を認識するには“差異”が必要なのです」(伊藤先生)

ことばと文化の関係を見つめ直す
続いて、ソシュールの考えをさらに発展させた形として、伊藤先生は「言語相対仮説」を取り上げます。提唱した2人の学者の名前をとって「サピア-ウォーフの仮説」ともよばれるものです。
「私の母国語は日本語です。この教室にいるみなさんの多くもそうでしょう。ある言語を母国語とする話者は、その母国語を通してものごとを認識します。たとえば、日本語話者であれば、あるものを見て、これは“犬”と認識し、英語話者は“Dog”と認識する。サピア-ウォーフの仮説は、言語によって人間の概念は変わると主張しているのです」(伊藤先生)
実際、その例はたくさんあると伊藤先生は言います。たとえば色の認識。
「みなさん、まわりを見渡して青いものを探してみてください。教室の後ろに貼られている花火の絵はきれいな青色ですし、この黒板消しも青ですよね。一方、古代の文献には『青』を表すことばがないという説があります。古代の人々は青を認識していなかったのでしょうか。それとも青の概念そのものがなかったのでしょうか?」と伊藤先生。他にも、カナダ北部に暮らすイヌイット族のことばには雪を表現する単語が豊富にあること、日本語のオノマトペには英語にはない表現があることなど、言語によって認識が異なる例を挙げていきます。
「ここまで、言語が文化や社会を規定するという考え方を見てきました。それなら、言語が文化を破壊することもできるのではないか。そう問題提起したのが、イギリスの作家であり、ジャーナリストのジョージ・オーウェルです」(伊藤先生)
伊藤先生は、オーウェルが1948年に書き上げた小説「1984年」について解説します。小説の舞台は、近未来の全体主義国家。独裁者が「反乱」「反抗」「政治的な自由」「知的な自由」などのことばを意図的に排除していくことによって、国民が思考しないようにコントロールしていく様がリアルに描かれています。
「ことばは、思考やイデオロギーを支配するほどの大きな力を持っています。ことばは文化を創造しますが、文化を破壊することもできる。ことばと文化の関係にはそのような側面もあります」(伊藤先生)
一方、ことばの新陳代謝は早く、昔は使われていたのに、今は使われなくなっていることばがたくさんあり、昔はなかった新しいことばもどんどん生まれていると伊藤先生は指摘します。なぜ、新しいことばを使うようになったのか。使われなくなったことばは、なぜ使われなくなったのか。そのとき文化は、社会はどう変わったのか。ことばと文化の関係を見つめ直してみると、物事の見え方が変わり、見えなかった世界が見えてきます。高校生たちは伊藤先生の授業を通して、ことばと文化の関係を考える楽しさ、そして、ことばを意識することの大切さに気づいたようでした。